公職追放で再び失業者となった敗戦二年後、ハローワークもトラバイユもないこの頃の職探しは肉体労働を除けば凡んど運任せだが四週間目に友人から「有楽町の0杜でフランス語の分る電気技術者を求めているから行って見たらどうか」との連絡があり早速出掛ける。駅前の入り組んだ路地の奥に目ざす事務所を見つけたが古ぼけた木の看板の文字は社団法人日本電気協会で会社ではなかった。人を求めている風には見えないが入って見よう。
日本石炭より更に空襲被害のひどい三階建てのビルの二階の受付で来意を告げると鼻下に髭を蓄えている紳士のデスクに連れて行かれ傍の丸椅子に腰掛ける。髭の紳士が名刺を出したので失業中で名刺のない私は封筒から履歴書を出して机上に拡げる。名刺の肩書は事務局長だった。局長は履歴書を一瞥し本立にある厚さ十糎以上もある皮表紙の書物をパラパラとめくり所定の頁を指で示し、「このフランス語で書かれた部分を翻訳して貰い度い、料金は一頁OO円(金額は忘れたが可成り高額だった)でお願いする」とぶっきら棒に言った。私は頭の巾で百頁もやれば日本石炭の給料三力月分になると卑しい皮算用をし「はい承知しました」と答え契約は成立する。
日本電気協会は九杜の配電会杜と一社の発送電会杜を会員とする社団法人で革表紙の本は直近に行なわれた世界動力会議の報告資料だった。よく考えてみるとモーパッサンやユーゴーの翻訳ができるフランス語専門家はいてもエレキの事は分らないだろうし、電気技術者でフランス語を学ぶ人は恐らく皆無に近いだろう。理工学系の学生が英語に次ぐ外国語を選ぶ時は凡んどドイツ語でフランス語を選択する人は余程の変人である。つまり両方をそこそここなせる私は貴重な人材という訳だ。
幼年学校出身の軍人は外国公館付勤務を命じられる事が多いので外国語の教育には特別に力を注ぎ授業時間も普通の中学校の二倍以上あった。二五人の小人数学級で学んだフランス語の実力がどの程度なのか試した事はないが、公職追放で失業し生活の手段を失った時に救いの神となっただけでなく、結婚ならぬ就職の縁結びに出雲の神様役までして呉れたのだからご利益(りやく)は絶大である。ここは何はともあれフランス語にメルシー・ボークー(大変有難う)!!
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